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HOME > コラム【黒潮ヒデの競輪道四十七次】 コラム【さとうゆみの輪くるライフ】へ
コラム

下記イラストは競輪絵師竹田氏の作品です。ホームページはコチラ>>  
「たいら」
2006.12.20
 今年も残すところ後わずか。
いわき平の全日本選抜を合志が優勝し、グランプリメンバーが出揃い、 年末最後の大一番が楽しみになってきたが・・・。

 その全日本選抜は、オレにとって最悪の結果となってしまった。 先行すれば持たず、まくりが決まったかに見えても後方から伸びてきた選手に食われ2、3や、うっかりすると着外に沈んでしまうし??
どうなってんのモード全開!

 直線が長いバンクとはわかっていたが、これほどとは思わなかった。 と、ここまで書けば後はどうなったかと言うことも察しがつくと思うでしょうが、 3日目までノーホーラーに近く瀕死の状態。こうなっちゃうと疑心暗鬼になり、 穴目にしか目が行かずどうしようもない。
 あんまり当らないんで、ゲン直しに4日目は2枠複の全通り18点を買って流れを変えようと努力するもその後が続かず撃沈。我が東京中日スポーツの精鋭吉田名人、工藤先輩、 米内記者の3人も揃って討ち死にとなり、4人仲良く一緒に帰るも晩飯代すらなく、 空きっ腹で帰宅することになった。

 帰宅し、正直にカミサンに今回のことを白状すると「しばらくは、競輪を自粛だね」 と冷たい一言が・・・。
声を絞るように「そうだね」とオレ。 心の中では微塵も思ってはいないが、ここは一番ネコを被る事にした。

 後日、トーチュウのグランプリ特集の取材で滝さん(輪界の重鎮、滝沢正光)と対談があり、余談としていわき平の話にもおよび、あの悪夢を思い出すことに・・・。
 滝さんは3日目からの補充だったが、9着で1日のみ出走でご帰還。本人いわく「弾丸ツアーだったよ」と。 
 「前の日の夕方に宿舎入りし、朝一のレースでお帰りじゃあね、24時間まだたってないよ」と大笑い。
 その後はいわき平バンクの話になり、合志の伸びたVロードを尋ねると、9番手で追走 いっぱいだったから、わからなかったと。チャンスがあれば、あのVロードコースを走り体験してみたいともいってたよ。

あぁッ、チックショウ。グランプリでは、ゼッ〜タイ勝ち組になるぞ!!

追伸、トーチュウのグランプリ特集はかなり面白い記事になってるはずだから、ぜひ見てちょ。



「はな」
2006.12.06
 久々に娘が転勤先の神奈川県から、トイプードルのハナ(7ヶ月)を連れ帰ってきた。 ハナは4月ごろから6月ぐらいまで我が家にいたのだが、一人での寮暮らしはさびしいと 連れて行っていた。 ところが老人ホームで働く娘は時間が不規則なので、犬もストレスが溜まってしまったと・・。 オレは犬が好きなのだが、カミサンはきれい好きで掃除魔ときてる。 ハナが戻ってきたおかげでカミサンにとって最大のライバル再登場となってしまった。 案の定初日からクソ小便を垂れ流し、大騒ぎ。 カミサンとオレもティッシュと雑巾を持って駆けずりまわり大変なことになってしまった。

 次の日カミサンに急かされ早速ゲージと、しつけ用のトイレを買いに量販店出かけ、 ついでになんとなくウンが付きそうな気がして、隣の宝くじ売り場でロト6と年末ジャンボも購入。

 帰りがけ腹が減り、あれこれ迷った挙句にラーメンを食うこととなり、アイちゃんがずいぶん前に言ってた店を思いだし入った。 そこは家のすぐ傍にあったが、佐倉に越してきて18年、一回も行った事が無い店なので気にはなっていた店だ。< ところが入ってみてビックリ。昼時なのに、だーれもお客がいない。 店には店主のバアサンが椅子に腰掛け一人だけ。 少し不安になりながらも二人分のラーメンを注文。なんとなく店の中を見渡すと、無造作に長島茂雄監督のサインが画鋲に刺して飾ってあった。

「オカアサンこのサインはお宝だね、こんな飾りかたをしてたらもったいないね」といったら、 待ってましたとばかりにラーメンを作る手を止め、厨房から出てきて、それからが大変。 色紙をもらったときの自慢話を延々としゃべりだした。 「お客さん話せば長くなるけど、わたしゃ長島さんの大ファンなんだよ。このサインは長島さんが成田にチャリティーゴルフに来たときもらったもんだ」と言うとこから始まり、アーダコーダと身振り手振りで一講釈。 ひとしきりしゃべり終わると「そうそうラーメンね」とまた厨房にもどり作り出した。この間約20分、まあ暇だからいいかと思いながらも・・腹ヘッタ。<

 しばらくして「お待ちどう様」とラーメンを持ってバアサンが出てきて、 今度はバケットに入れ椅子に置いてたハナを見つけ「あら、かわいいワンちゃんね、私も犬が大好きなんだよ」とここまでならよかったんだが・・。 今度は犬のウンチクから始まり、近所の犬にまでと話が飛び、そこの飼い主や家の内情まで、まるで堰を切ったように延々としゃべりまくる。我々はバアサンの暇つぶしに付き合うハメになったが、それでも誰一人お客が来ない。

 このときハッと気が付いたが、寝ているとき意外はしゃべりまくっているカミサンもバアサンの気迫に圧倒され無口になっていた。 一通り話が一段落した段階でハナを盾に帰ることにしたが、ラーメン屋さんには、有に1時間以上いてしまった・・。

その後我々はあのラーメン屋さんの前は通るものの入ってはいない・・。

 その後もハナとの格闘の日々が続いている。
 極め付きはオレの車のシートの上にもオシッコをされてしまうし、ホントどうしようもないバカ犬である。 この犬が更生し、我が家に平穏な日が訪れるのはいつになるのか・・・・。


大介の記念初優勝
2006.11.22
 11月の始めに伊東記念で大介(武井)が記念初優勝を遂げてオレをびっくりたまげさせ、喜ばせてくれた。
伊東記念の前検前日に珍しく大介からメールが来た。
いつもは競走が終わって送られてくるメールなのだが、「ダービーまで後400万円、早めに稼いできます」と。
 やけに気合が入ってるなと思いながら、オレも返信のメールを「簡単、今回優勝すればダービーにいけるよ」と返したが、豪華メンバーが揃ったGIIIだけに「決勝に乗れれば御の字」の気持ちの方が強かった。
 3日間のレースを見ると山崎芳仁が桁違いの強さを発揮しどうしようもない。
 大介も決勝に乗ったが、山崎と上がりタイムが違うし苦しいだろうなと・・・。
ところが、山崎が早逃げで矢口がかまし絶好の展開をあっさりまくって初V。

 千葉競輪場でいつもの山ちゃん、アイちゃんと観戦していたが、施行者さんも部屋にやってきてくれ、おめでとうの握手攻め。

 帰りは山ちゃん、アイちゃんとお祝いを兼ね軽く一杯。
道中、大介からの電話もあり「今日は皆で飯を食って帰りますとのこと。「そっか、飲んだら代行で帰れよ」と話しチョン。
こちらも飲んでるうちに色々な方からメールや電話でお祝いを頂戴し、
喜びのテンションも絶頂に達しいい心持で我が家に帰宅。と、ここまでは、お祝いモード全開で就寝。

 ところが後日、競輪場で事情通のI選手が「吉井さん、大介のこと知ってる?」と何やら意味深な物言いで聞いてきた。
 ?? なにがなんだかサッパリ分からず聞き返すと、あの日(大介が優勝した日)酒を飲みすぎ大変なことになりノックダウンしたと・・。
 ハア? そうかい、そんなこと一言も聞いてないオレはムッとなり確かめることにし、言い分け次第では久々にお説教か!
 ムズムズしたが、考えてみればオレも若かりしころ酒での失敗は結構あった。

 あのころは師匠にも親にも迷惑をかけ、結構怒られコンコンと絞られて、しばらくは禁酒を申し付けられ謹慎を余儀なくされた。

 そんなことを思えば、大介にも酒で失敗することのないように、オトナの意見として酒を飲みながらじっくり自分の酒量を理解させ、たっぷりと諭すことにするイッヒッヒ・・。
天神様の御利益
2006.11.8
 今年の千葉記念は地元で連覇が掛かった海老根と好調の波を維持してた大介(武井)が決勝戦に進出できず残念な結果に・・。
 それでも収穫はあったよ。
最終日の順位決定で海老根が先行し大介がゴール前捉えて1着。
大介の成長を伺わせるレースに納得。徐々にだが強くなってるし・・・と。

その千葉記念が終わり息着く暇もなく、翌日ふるさとダービー防府に直行。
今回も例のフグ屋へ行く予定を立てており、楽しみ倍増計画に胸おどらせていたが・・。

初日2日と惨敗、現実のきびしさを痛感、トホホ・・。
やっぱり世の中そんなに上手く行かず、オレの懐には実りの秋のお裾分けもなく、一足早く冬の木枯らしが・・・
それでも、ここ防府では「地獄に仏」の諺が生きていた。
競輪学校の同期同班で年長組の渡辺晃さんからラブコールがあり「ゲンチャン飯食いにいくか」と。
(ゲンチャンとは競輪学校のとき渡辺さんがオレにつけた愛称だ)
その晩はオレの心と腹を満たすに十分なだけのヒレ酒付きフグのフルコースをおごってもらい、
旧交を暖め、昔話に花を咲かせ和やかにお開き。
  
 次の日は3日目で準決勝の大一番、オレも気持ちも新たにする意味で
毎日何気なく防府天満宮の脇を通り過ぎ競輪場へ行っていたが、立ち寄りお参りをすることにした。

防府天満宮には学門の神様、菅原道真公が祭られており
現役を離れた評論家家業のオレには、ここは打ってつけの神社である。
 道真公の知恵を借り、ついでに車券的中のお願いもし、防府競輪場いざ出陣。
3日目はご利益よろしく何とか負け分を減らすことに成功。
この分でいけば最終日もいけるかも・・・。

最終日も味をしめ朝早く天満宮へお参りウッシッシ。
前半戦は好調でかなり盛り返しノリノリで折り返す。
 
決勝戦で大爆発をもくろみ連日動きのいい佐藤友和でと、決めて勝負。
なんてったて準決勝の強烈なまくりを見せられたら、こりゃしょうがね〜べ。
あの佐藤慎太郎が「山崎芳仁にダッシュをプラスしたようなもんだ」と絶賛。
へ〜それじゃバイクみたいなもんだ。
が、しかしである 「ウ〜ン!」終って見れば、武田の早逃げを中団確保の手島があっさりまくって初優勝。
悔やまれるのは、我がトーチュウの吉田名人の逆転ジャンに手島、池尻が載っていたのだが・・。
例のフグ屋に行く分を残したおかげで惨敗。ツキに乗じて逆転ジャンも少し買っとけば良かったよ。
やっぱ博打は守りに入るとダメだね。
せっかくの防府天満宮のご利益もこれまで・・・トホホだす。
喜びの連鎖
2006.10.25
 ポン友の山ちゃんから電話が入り「娘がトライアスロンを始めたから自転車を何とかして」と、連絡があった。話の内容を詳しく聞いてみると借り物のマウンテンバイクで初めてのトライアスロンに挑んだら、みんなにまくられまったく歯が立たなく惨敗。
 当たり前のことだが、マウンテンバイクとロードーレーサーでは勝負になるはずがない。
 こんなことも知らない娘は、これに納得がかずはまったらしいとのこと。
 たしか娘ははすでに働いているはずなのに? 甘い親父だ。(オレも人のことは言えないが・・・)
 さっそく、その道のエキスパートである弟子の慎太郎(福森)に電話で相談。と言っても任せるから安くて良いのをさがしてくれ。と、一方的にお願いをしてチョンと思っていたところ、慎太郎から予想外の話を打ち明けられビックリ。何と赤ん坊が出来たらしいと・・。
 オレにはたしか2年ぐらいは子供は作らないといってたはずなんだが・・。
 何はともあれ、おめでたい出来事である。
 それから間もなくして連絡があり、お目当てのロードレーサーをゲット。山ちゃんと連れ立って慎太郎の家に取りに行き、嫁さんの幸せそうな見て改めて喜びのお裾分けを頂戴した。

 そういえば喜びの連鎖が続き(武井)大介が防府S級シリーズで久々に優勝。本人も1か月の斡旋停止を受けたが、この期間を無駄にせず練習に明け暮れた成果が結果に結びついた。貴司(宮内)も平塚で決勝戦2着と活躍。(鈴木)誠も今は斡旋停止中だが、練習をサボらずしっかりやってるので脚が太くなったといっていたし、復帰後が楽しみになってきた。

 今後も弟子たちの動向に目が離せないオレだが、
 読者の皆さんも注意して見守ってください。
 お願いします。
オーバー200歳!?
2006.10.11
 岐阜競輪場で行われた共同通信社杯に行ってきたよ。
 今回のオレは3日目終了後、のっぴきならない事情で途中欠場とあいなってしまった。
 緒方さんがオレに「お前がいなくなるとさびしいから最終日までいたら」と、ニヤニヤしながらやさしく声を掛けててくれたり、久保さんも「少しなら回すぞ」と囁いてくれたりと・・
 冗談じゃね〜、死んだオヤジが言ってた。「金を借りてまで博打はするな!」と。
 その遺言に忠実に従い今回は撤収することに・・。(ホントはくやしいから、いたかったんだけど)

 最終日は気持ちも新たにリベンジを誓い、いつもの仲間と千葉競輪場にいた。(懲りもせず)
 道中そこそこ浮いてたので決勝戦は山崎で堅いと勝負!。結果は岡部のまくりに乗ってゴール前捉えた合志のV!
 やられてしまったが、「まっいっか〜」と余裕で晩飯を食いにいって反省会。

 話は変わるが、2日目に緒方さん、久保さん、中野さんとオレで昼飯のきしめんを食っているとき、
 「オレもいよいよ50歳になり、みなさんと肩を並べられたよ」と話すと、
 久保さん「なんだヒデお前もとうとう50か!」と、ちょっと間があり「すると4人合わせて200歳を超えてるわけだ!」
 ウン・・? なんとそう考えると・・・?? なんとなく訳が分からないがみんなで大笑い!
 緒方さん「やってることは20代」と変わんね〜べ」と妙な千葉弁を使いまたまた大笑い。

 その晩は昼間のメンバーで加藤慎平選手お勧めの中華屋「三本足」さんにいった。
 奇妙な名前にも驚かされるが、店入ってみるとオヤジさんも仙人のみたいで2度びっくり。
 おい大丈夫か!と思いつつも気さくないい店で競輪好きのお客さんでいっぱい。
 味のほうも本格的な中華料理で大満足で納得、最後はみんなで記念撮影で終了。

 今回もいろいろあったが、50を過ぎたら背筋が伸びたみたいに感じ一日一日がなんとなく面白いね!
暇な一日
2006.9.27
 ある暇な1日の出来事。

 その日は朝から雲ひとつなく上天気。
 暇を持て余してるオレにとっては虚しささえ覚えるほど。

 この日はカミサンも朝からお出かけと、普段のオレなら絶好の展開だが、先立つ物もなく渋々お留守番。
 「まあ、いいかっ〜!」と諦め、新聞(競輪欄)を隅から隅まで目を通しTVをつける。
 TVを見ながらソファでごろごろしてると、突然電話がなり飛び起き受話器に向かう・・。
 何かの勧誘らしく暇を持て余してるオレにとって絶好の餌食、飛んで火に入る夏の虫状態。
 5分、10分と話を聞いていくうちに相手も脈ありと受け取ったのか、いよいよ話は佳境に入り面倒くさくなってきたところで「キャッチが入った」と言ってゲームセット・・。

 昼飯の時間になり冷蔵庫を開け、朝の残り物を適当に物色レンジでチン・・。腹がきつくなるとマブタが緩みお昼寝タイム。(昼寝は現役をやってたころ以来だ)
熟睡モードに入り意識不明。

 何時間かしてピンポンがなり、二十歳前後の痩せた男が大声で
 「こ・ん・に・ち・わ」とわめいているではないか。
 「なんだ、なんだ?」ととあわてて外に出て訳を尋ねると、たどたどしい言葉で「僕たちは知的障害者のグループで、雑巾を作って社会復帰を目指し仕事をしてる」との答え。
 胸には身分証明書みたいな物もぶら下げているし、信用して一つ買ってあげることにした。
 ところが雑巾2枚で2、000円ときてブッタマゲタ。今日のオレには痛すぎるが、言ってしまった手前引っ込みがつかず購入。

 入れ替わりにカミサンが上機嫌で帰ってきて、開口一番「今の人誰?」と・・。
 いいことをしたと思ってるオレは得意げに事の顛末を話すと、予想外の答えが返ってきた。
 「今の人、家の前を全速力で駆けてったよ。」
 「アンタッその雑巾、百エンショップで売ってるよ!」って。ゲゲエ・・・・・
 「だいたいいくらで買ったの」ときたので、やや間を置き頭の中でグルグル計算が始まり「1、000円!」と嘘の答えを出すのが精一杯。
まるで犯罪者にでもなったようなプッレッシャーを感じつつ・・・

 「ブアッカじゃないの、ここらじゃあの手が最近流行ってんのよ。。あんなのにダマサレテ」でチョン。

 かくて最悪な一日になってしまった。
 教訓 ・「亭主元気で留守がいい」は、ホントの話だったよ。トホホ・・。
花月園で逆転ジャン
2006.9.13
 花月園オールスター競輪は井上昌己選手のかましが決まり初優勝で幕を閉じた。

 だれが見ても武田の先行1車で展開有利なメンバー構成となった決勝戦。 今回の武田の走りをもってすれば、少々早めに先行しても十分勝負になる、 どんなに悪くても2着までには残って当然の走りをしていただけに残念。

 ポイント制が導入され2回目のとなったオールスター競輪はその熾烈さが増しドリーム組やオリオン組が容赦なく脱落していく。まさに世代交代の完結シリーズとでも言いたくなるような初日の80期台の活躍。 実に連絡みが18人、75%を数える結果を残した。

 この結果をもとに素直に決勝戦も狙えばいいものを、武田、市田ばかりに気がいって86期の井上にはまったく気が回らず・・・。 武田、市田、手島、佐藤を絡め2車単3連単車券をこれでもかというほど購入。

 ところが投票締め切り間際になり、「そうだ、今日のオレはここまで一回も当たってないノウホーラ」。
 そこで我がトーチュウの吉田先輩が書いてる「逆転ジャン」が気になりだし、 今日の「逆転ジャン」の狙い目はと尋ねたが、吉田さんも車券購入に必死のご様子。
 新聞を開いて見ると「逆転ジャン」には「自在策で井上V」の文字が・・。ノウホーラだった俺としては、藁にもすがる気持ちで最後の切り札の「逆転ジャン」の狙い目を購入・・
 武田に期待を寄せていたオレだが、複雑な気持ちながら「自在策で井上V」で結果オーライ・・。

 車券的には少々のマイナスで済み、日ごろお世話になってるトーチュウの皆さんを例のマツタケ屋さんにご招待と相成り、吉田先輩記者さんへの感謝の気持ちと反省会をささやかに催しましたが、そこには鼻の聞くA女史もしっかり参加しておりました。

 読者のみなさん、困ったときの「逆転ジャン」、恐るべしです。!!
波乱続きの松戸記念観戦後記
2006.8.30
 56周年の松戸記念は初日から荒れるレースが多く参った。
なんたって、今シリーズは2車単で1万円以上の大穴が12本、3連単も10万円以上が8本も出ては、
「お手上げ状態だよ。」と言ってるファンの嘆きが聞こえてくる。
波乱の要素を含んだレースは、どんな競走にもあるんだが、今回見ていて感じたことは、自力選手や、追い込み選手が、それぞれがしっかりした役割分担単を担って成り立っている競輪競走なのに、どうなってんだ? が多すぎた。

 主導権を取ったと思っても内外線間の有権走路を走らず内をすくわれたり、3番手が内を空けて突っ込まれたりと。そんなお粗末なレースになったときに競輪ファンが嘆くし俺もガクっとなる。

 特に3日目準決勝Bのレースなんぞ、まるっきり競輪になってない。
 小島寿昭を先頭に千葉勢3車で2段掛けもある連携。かたや何でもできる金成が先頭で岡部が続き木村、手島がマークしての2分戦。
 選手紹介通りに並びレースが展開されると思っていたが、本番では並ぶはずの金成、岡部の福島両者が連携せず、3番手を回るはずの木村、手島が前受けと、何が何だかさっぱりチンプンカンプン? 前を取らされたら不利だとばかりに終始けん制状態。とうとう最後まで連携ができずレースが終了し大波乱! あわや騒じょう事件に発展かと思えるほど場内騒然。当たり前のことだが、ゼンゼン納得のいかないレース内容に、こうなるとファンの気持ちが収まらない!

 オレも解説をやっていて「こりゃ〜大変なことになっちまった!こんなの競輪じゃねえぞ」と思うと同時に

「こんなことをやってたら競輪が潰れるぞ」と。

 前を取ると不利になることを承知で、昔から人気になってる選手が前を取りレースを進めていくのが暗黙の了解だった。これも競輪道のひとつだと思うが、選手諸君いかがなものか。

 競輪は展開と言うけど、まさにその通り。
 ファンはその展開を推理し車券に結び付けているのだから、しっかりしたレースを提供してもらいたい。勝敗は時の運、良い時もあれば悪い時もある。悪ければ練習が足りないと思い頑張るしかないよ。正々堂々という言葉を決して死語にしてはならない。

 先ごろ終わった夏の甲子園で魅せた早実の斉藤投手や、駒大苫小牧の田中投手の正々堂々とした戦いを思い出してもらいたい。
 勝った早実の斉藤投手は無論立派だったが、負けた駒大苫小牧の田中投手はカッコ悪くなかったよ、むしろ堂々としてカッコ良くさわやかだったね。

 オレもたまには、こんなことが書けるんだよ!
 人間がやっているから競輪なんだよ。だからそこに推理が生まれ競輪が楽しくなるのだ。ガンバレ競輪選手!
クロベコに行ってきた
2006.8.16
 連日、うだるような暑さの中で開催されたふるさとダービー富山。
平原康多が積極果敢に先行し見事な逃げ切りVで幕を閉じた。
 今回のオレは伊藤克信さんと場内で予想会などのイベントをやっていたが、仮設テントの中はまるでサウナ状態・・。
 毛穴から汗が噴出し頭のテッペンからパンツまでビッショリ。
 最近はサウナ以外まったくかくことがなかった大汗に、フーフーいいながらも「選手時代はしょっちゅうこんな感じだったなー!」とチョッピリ心地よさを思い出したが、やっぱり暑いべ〜。ともあれ灼熱の4日間を無事終了。

 今回は最終日にカミサンと宇奈月温泉で待ち合わせて、立山アルペンルートへ向かう計画立てていた。
 仕事も終わり宇奈月温泉へ向かってまっしぐら。
 道中先に到着したカミサンから連絡を受けたが、泊まるホテルにかなり感激したようで、携帯の向こうからでも口から泡を飛ばす様子が手に取るようにわかる。
 遅れてホテルに着いたが、たしかに黒部峡谷の景色に納得。
(こりゃ〜夜が怖いかも・・・)と心配に思いながらも平穏な一夜を過ごし朝を迎え、いざ立山アルペンに出発。
 勢いよく出掛けたまでは良かったが、途中でカミサンが「そういえば、もう家に米が無い”」と言い出す。なんでここまで来て今頃米なんだ?
と腹では思ったが、一度言い出すとそればかりを呪文のように繰り返し唱えるカミサンに付き合い、
 仕方なしに米屋を探す羽目にトホホ・・・。(主婦丸出し)なんとか米をゲット。

 気を取り直し目的地の立山へ再出発。
 立山駅からケーブルカー、高原バスに乗り換え室堂まで1時間の道乗りだったが、道中ガスがかかり周りが見えない。
 ビデオが勝手に、晴れていれば見えるはずの景色を虚しく説明・・。
退屈で居眠りが出る、当然隣の御仁も早々熟睡。

 それでも室堂に近付き雲海を突破した途端、晴れ渡り目が覚める。
 辺り一面が山々に囲まれ別世界、まさに絶景。バスを降り辺りを散策をするが、あまりにもすばらしい光景に大感激!。下界の喧騒をしばし忘れ歩き回り命の洗濯。
 車券の負けも何もかにも、す〜っかり忘れリフレッシュ。

 昼飯を済ませ黒部湖〜クロ四ダムに向うロープウエイに乗るが、ロープウエイの中は夏休みの家族連れや団体客で鮨詰め状態。
 奥へ詰めるようにとアナウンスがあり、続いて黒部湖の案内が流されたが、オレには黒部湖と言うアナウンスが「黒ベコ、黒ベコ」と言ってるように聞こえる。これも気圧のせいか・・?
 ここではその黒ベコの遊覧船に乗り見物にいくが、なにせ普段の自堕落な生活がたたって階段の上り下りにヒーヒー。
 後からきた年寄り夫婦に「若いのにダラシが無いねー」とアッサリまくられ、これにはオレもカミサンもヤバイと実感。カミサン「帰ったらダイエット?」というので、
「それって運動不足じゃないの」と心で呟く・・。

 遊覧船を降りオレが今回一番見たっかったクロ四ダムの上を歩くが、プロジェクトXを見てある程度は分かっているつもりではいたが、
 実感として多くの殉職者を出しながらも「スゲエーもん作ったなー。人間、やる気になればどんな困難なことでもできる」と、ホントこのときだけは心底そう思ったよ。
函館で改名!?
2006.8.2
 8月に入り、やっと梅雨明けとなり、とんでもない暑さがやってきた。
地球温暖化と騒がれているが、こんなに暑いのは地球の軌道がずれ、太陽に近づいてしまってるのでは・・・

 そのせいかどうかわからないが、我が家では18年物のエアコンが利かなくなってしまった。
 スイッチを入れても生暖かい風しか吹き込まなくなり、カミサンと二人で「アッツー、アッツー」と毎日汗をダラダラ・・。
 いよいよもってエアコンに寿命が来たらしい。
 仕方なしに大金をはたきエアコンを注文をしたが、取り付け工事が混んでて当分付かないようだ。
 少々ドラえもん化しだしてきたカミサンには、丁度いいダイエットになりそうで喜ばしいことだ。


 思えば先月の函館サマーナイトに出掛けたときは肌寒く震えていたのに・・。
 サマーナイトで思い出したが、前検日に早朝の飛行機で函館へ出発しようと羽田のロビーにいたら広島で行われた国際競輪を走り終えた菊池圭尚君ら北海道の選手たちとバッタリ。
 函館に着いたら朝市で朝飯に有りつこうともくろんでいると、菊池君の両親が市場で居酒屋をやっているという話を聞き、朝食もやってると。
 早速店に行ってみると、そこには有坂、山崎、金成ら北日本の精鋭たちがそろい朝飯をパクついている。
 オレもイカ刺し定食を頼み、食べ終わり会計をしようとしたら有坂が済ませてあり、ご相伴にあずっかってしまった。
 
 さすがに北の親分だと、関心(素直にゴッツオウサン)です。

 前検取材を終え、初日にポン友の山ちゃん、アイちゃんと、シシ君が有休を取り函館にやってきた。
 戦果は聞くだけのものではなく、2日目に勝負を掛けることして、菊池君の両親の居酒屋で反省会。

 メンバーはプロスポのA女史に、我がトウチュウの工藤、吉田の両先輩精鋭記者とポン友たちで一杯。
 皆を紹介し、酔っ払いながら話がアッチャコッチャに飛び、それぞれの名前の由来に話が及んで、一段落と思いきや・・。
 最後に吉田先輩がオレの名前を褒めてくれ話を振ってきた「ヒデちゃんは何人兄弟だっけ」と。
 「5人兄弟の末っ子です」と答えると、「ウーン!、昔は末っ子だと、捨吉だとか、留造とか、留吉あたりが相場なんだが・・」
 といいだした。すると隣の襖が開き「留サン!」と声が掛かる。
 振り向くとそこには久保さんがサンスポの人たちと一杯やっていた。

 酔っ払ていたオレは「留さん」の名前が大いに気に入り、その日は留になりきり上機嫌。
 最近もA女史からの連絡は留サンと来るようになった。

 黒潮ヒデも次回から改名させられてしまうかも・・・・?
不思議なマツタケ
2006.7.19
 先月27日に終わった京王閣ナイターの帰りに、 突然明日葉の大将から電話で「店に客がいない、吉井さん助けて」 とヘルプコール。
 いつもお世話になってる店だけに、このピンチはオレがいって救ってやらねば・・ と思案をしたが、いかんせんオレは車で帰る途中。
「大将申し訳ない、今日はやられて金もないし車だから明日必ず行くよ」と告げると  大将「いやー冗談、冗談。実は松茸が手に入ったから電話をしたんだけど」と。
 「えっホントに・・。こんなに早くそんなもんがあるの」と耳を疑いながら話を終らせ、 カミサンに事の顛末を報告し、当日2人で仲良く連れ立って明日葉へ向かった。

 道中アイちゃん(競輪好きのポン友)から電話が入りブッキラボウに「今どこだ!」 というから昨日の話を教え一緒に行くことに・・・。相変わらず勘のいいオッサンである。
 店には一番乗りで入り、お目当ての松茸様を拝見。
 本物の松茸様を目の前に、全員感激しながら笑みがこぼれる。
 後から山ちゃんと山ちゃんの会社の仲間も加わり皆でワイワイ盛り上がる。

 他のテーブルのお客さんたちも幸せそうな顔で満足げだ。 酔うにつれ、話は自然と松茸の入手ルートのことになるが、 大将に尋ねても、ニヤニヤしてるだけで決して口を割らない。
オレたちは勝手に想像し、大将が松茸の人工栽培に成功したと結論づけたが、 はたしてそれは定かではない。

それにしても、明日葉の大将は不思議な人だ。
競輪が大好きで、こよなく選手をかわいがってくれる。
皆さんも機会があったらちょっと寄ってみてください。

店の所在は東京の銀座1目町の第3太陽ビルの中です。
詳しくは電話番号03−3564−4675で尋ねてみてください。
大介ガンバレ!
2006.7.5
 先月行われた吉井杯で大介(武井)がやっと復活してきた。
 前検日にオレと連れ立って前橋に向かった。(当然大介がオレを迎えに来てドアツードアで)
 今回はやれる手応えを感じながら、「戦法的には吹っ切れたのか?」と聞くと「もうしばらくは自力で頑張ります」ときいぱり。

 グリーンドームへ着き早速初日のメンバーが発表され、なんと先行日本一村上相手ではないか・・・。
 「こりゃ無理だ、相手が悪すぎる!」(心の中でオレは呟きながら)再度どうすると聞いても、「自力で何とか頑張ります」と言う。
 やけに自信を持っているだけに、期待して初日のレースを応援すれば、
小松のかく乱戦法の助けもあったが、しっかりまくって結果を残した。
すぐさま記者席から降りて行きナデナデ。とここまでは良かったが、最終日のあのレースですべては帳消しに・・。
 新鋭北津留、佐藤友和の先行争いを誘ってまくれる展開なのに何の策も程こさず、スタートから8番手のまま・・・?
 勝負所でもピクリともせず、力を出し切ることなく敗退。(情けねー、ガックシ!)
 オレを失望させ、ファンにも大いに迷惑をかけたことだろう。
 前日に帰宅し観戦していたオレは、テレビの前で唖然とし言葉もなく、激を飛ばすメールを送っていた。

 なにやら弟子のグチに終始してしまったが、
 第15回の親王牌の王者は、地元の強面後閑信一選手の頭上に輝いた。
世代交代の加速する逆風の前に立ちはだかり、手にした優勝は立派でした。
 今後も大いなる活躍を期待しつつ、オレも次回は恩恵に与りたいものだ。

ダイエット再開
2006.6.21
 高松宮記念杯が終わってしばらくたったある日のこと。
 カミサンが「最近ご無沙汰じゃあないの」と朝っぱらからいきなりオレに向かって突進してきた。
 何をトチ狂ったのかとポカンとしているといきなり腹をつかんだ。
 「アンタ、そういえばダイエットはどうしたの」
 「その腹何とかしなさよ!」とオレに突っかかってきた。
 どうもこの日は虫の居所が悪かったらしい・・。
 いきなりそんなことを切り出してきたもんだから、オレもカミサンの腹を鷲ヅカミにし、「あんたもりっぱになったねー、オレのことばっかりいえねーべ」とやりかえした。
 「いけねー、しまった」と思ったが後の祭り。いつもの速射砲口撃が始まり、オレは防戦一方。

 仕方なしにまたダイエットを開始することに。今度はカミサンも一緒にやるということで、2人でサイクリングをすることに決まり。
 近くのジョイフルホンダ(スーパー)まで、折りたたみ自転車を買いにいくことになった。

 あれこれ自転車を物色し試乗することになったが、ここで思わぬ展開が待ち受けていた。
 なんとカミサン、自転車に乗るのは学生時代以来30数年ぶりとチョウ緊張・・。
 そういえばオレも、カミサンが自転車に乗っている姿を見た記憶がなかった。

 カミサンの試乗は目を覆いたくなるような惨状。
 まるでサーカスの熊を見ているような有様(今のオレも似たり寄ったりかも)。
 自分の未熟さを棚に上げ、折りたたみ自転車のせいにする始末。
 色々吟味し折りたたみ自転車をゲット。早速次の日出かけようと段取りをしたが、雨で中止。

 今も自転車は車庫の中で、今か今かと出番を待って待機中。
 ちなみにオレはコツコツと床屋に行ったり、コンビニに行ったりと細々やってます。
 これじゃあダイエットになってないかも・・・・。
気合を入れた宮杯で…
2006.6.7
 吉岡の逃走劇で幕を閉じた立川ダービーから早2ヶ月。
 久々のG1は、びわこ競輪場に舞台を移し高松宮記念杯だ。
 ここの所ツキに見放され、くすぶりっぱなしオレも月が替われば流れも向くと思い込んで、気持ちも新たにびわこへ出発。

 前検日の朝に、カミサンのおぼつかない運転で佐倉駅まで送ってもらい、「アンタ、頑張ってくるんだよ!」と気合を入れられる。
 この気合には訳があり、先月からカミサンを拝み倒し借金を重ねた分に対して早く返せ、の意味に違いない。
 オレも早いとこ自由な身になりたく「ンっ」と気合を入れるが、なんとなく不安・・・。
 誠から新幹線の出発時間をあらかじめ聞いていたので、その時間に合わせ乗り込む。

 初日の小嶋は後方から前団を一気に飲み込む強烈まくりで楽勝。とてつもない強さで勝ち上がり、今シリーズの優勝候補筆頭間違いなし。
 2日目も後ろが競り合いでこれまた楽勝。
 準決勝戦は10レースで武田が早目の先行をして着外に沈み波乱に。
 11レースは岡部が山崎の後を競られ連結を離して脚を溜め後方から一気。「そりゃねーべ」の競走内容だが、前検日の共同記者会見で「今回はシビアに1着を取りにいく」と言ってた事を思い出しフムフム・・・?
 12レース、お待ちかねの小島社長の登場。相手は平原だが、今回のデキは小嶋が一枚上。細切れ戦だしあっさりまくってチャンチャンだろうと勝負にでたが、 なんとなんと小島が武田のレースの再現をしてしまった。
  オイオイさっきの武田のレースが参考になんなかったのかよ。といいたいような内容だベー。もしかして自分のラインを長くして決勝戦は楽に戦おうとでも考えたのかも・・。
 優勝できる大チャンス潰してしまった小嶋の心境はさぞ悔しかろう。オレの胸中もしかりだ。

 小嶋が消えた決勝戦は山崎に乗って佐藤の兄弟弟子コンビが有利。
 先行1車の山崎だが兄弟子佐藤慎太郎を競らせず一気の発進とみて勝負。展開はズバリだったが、 佐藤慎太郎がゴール前ハンドルを投げ交わしたが、少し早く投げたもんだから、山崎に投げ返され逆転を食ってしまい万事休す。

 それにしても先行逃げ切りでG1初制覇をした山崎芳仁はたいしたもんだ。去年の暮に加藤慎平が世代交代の第一波を放ち、第2波が山崎で一気に世代交代が加速しそうだ。

 88期タレント軍団の中でも武田を押しのけ出世頭となり、今度は追われる立場だ。
 山崎には競輪界も大きな期待が寄せられるはずで、責任は重大だと思うがこれからもファンのため、自分のために頑張ってもらいたい。
宮杯で狙える二人
2006.5.24
5月13〜15日の平塚競輪でのこと。

 今シリーズは新田康仁の独壇場で、対抗も山内卓也でいける、確信していた。
 ところがふたを開けて見たら両者とも連日敗れてしまいファンをがっかりさせる結果となった。
 当然ファンは容赦なく罵声を浴びせ、負けたウップンを少しでも解消しようとしていた。

 オレも心配になり、放送終了後、新田と山内に取材をしてみると新田は「間があって練習は出来たんだけど・・・」と歯切れが悪い。
 それでもしつこく話しを聞きだすと、最後に「明日は最終日だし頑張ります」と気合を入れ直して、1着で閉めてくれた。
 山内も同様だったが、「F1戦は自力で勝てないとG3以上では勝てない」とスタイルにこだわっている様子がアリアリ。
 「フーン」とオレ。こりゃ明日もダメかもと心の中でつぶやくと、それを察知したかのように山内がすかさず「明日は何が何でも勝ちます」と
言ってくれ人気に答えてくれた。帰りしなに山内に会ったら吹っ切れた様子で次回の宮杯にちょっぴり手ごたえを感じてたようだった。

 2人とも次回は狙っていけるムフフ・・。
 そういえば同時開催で全プロ記念競輪が松山競輪場を舞台に行われていたので、弟子の誠(鈴木)と大介(武井)が出走しいたので気になり見てみたが、大介弱え〜情けね〜。

 それと、いつも全プロを見て思うことなのだが、全プロ記念競輪の開催は先に行われ、後から自転車競技の日程になってるが、競技を先に行うべきだと思うのだが・・。
 せっかく選手たちがこの大会に向けしっかり調整し好タイムを狙いにきても、競輪競走を先に行ってしまったら、自転車競技に脚は残ってないんじゃないのかな。
 このあたりを関係者の皆さんも考慮して頂けたら、世界もブッタマゲルようなタイムが拝めるかもしれないのに・・・。
末っ子添乗員の珍道中
2006.5.10
 ちょっと前になるが、4月の1、2日にかけ、兄弟全員とオフクロで初めての温泉旅行に行ってきた。
 オレの兄弟は姉を筆頭に男が4人の5人兄弟。
 その中でもオレは一番下の末っ子で、すぐ上の兄貴とも七つも歳が離れていて、親父とオフクロのうっかりでオレが出来たらしい。

 ともあれ旅行のいきさつは、2月ごろ姉から一本の電話があり、「和夫(二男)が3月で退職するから労をねぎらい旅行にいくぞ」とのこと。
 「いいよ、わかった」と返事をしたとたん「ヒデヒト、あとの段取りはお前に任せたから」と一言いって電話をガシャリ。相変わらずである・・・。

 旅行当日は我が家にみんなが集まり、福島の秘湯高湯温泉へ出発することに。
 出がけに、娘が心配そうに「吉井家ダイジョウブかな?」と先行きを暗示するような一言をポツリ。
 案の定道中バアサン(オフクロ)の具合が悪くなってしまい、車の窓にへばりつきゲロゲロ。
 「ゲッゲエ〜!」皆は唖然。
 完璧な車酔いになってしまった。佐倉の農道をオレが少し急いだのも原因だが・・。
 しかたなく車を道路脇に止めバアサンの背中をさすって介抱しバアサンに聞くと、どうやら昨晩は嬉しくて寝不足になってたらしい。

 なんとか車酔いも治まり出発しようとした瞬間、俺たちの乗った車を強引に追い越したオバチャンの軽が対向車と激突。
 幸いけが人もない様子なので先を急ぐ我々は出発したが、普段はガラガラな農道も、時ならぬ渋滞になってしまった。

 途中パーキングに寄って昼食をすませ、まだ時間もあるので阿武隈洞に立ち寄った。
 そこでンッ?何か変だと気が付くことがあった。
自然と産まれた順に並んで行動をしているではないか。
 試しにオレが先頭に立って行ってみるが、どうもバツがわるい。
 そういえば車の乗車位置もそうだったが、姉と長男が最後尾に常に陣取り、フンゾリ返って座っていた。
 まさにガキのころにタイムスリップしたようで、いつの間にか昔のように、「ヒデヒトあれ頼む、何々してくれ」とか、昔ほど口調は荒くはないがパシリをさせられてしまっている。(夜が怖い・・)

 というわけで無事旅館へ到着し、さっそく浴衣に着替えて温泉へ。
 夜は豪勢な料理と酒をタラフクやっつけ、酔うにつれ昔話に花が咲き、オレの知らない吉井家のことを兄弟たちがしゃべりだした。
 まったくぶったまげることやら、いろいろ笑えることを話すもんで、あっという間に時間もたち、 そろそろ寝るかと思ったら長男がマッサージに掛かりたいとぬかし始めた。すると次々に皆が掛かりたいと言ってきた。

 やばいオレの想定外の展開が起きてしまった。こうなると頼みの綱はマッサージ師がいないことを願うしかない。
(実はすでに昼間バアサンの土産代を含んだ会費を徴収してあり、後は全部オレに任せろといってあった)
 皆の視線を一身に集めフロントに電話をしたら。全員できると言ってきたので、ヒエー、アイタッターと。
 「マッサージ代は別個だぞ」と心の中で呟いてはみたが、絶対に押し切られるし、多分皆につるし上げを食ってしまうにちがいない。
 そこでこの分は車券で挽回すればいいやと思うことにした。

 予想どおり、翌朝精算したら2日目の分はなく、これから先はオレの自腹が続くはめに・・・。
 2日目は会津方面に寄る手筈を整えてあり、そこでそば会席を予約してあった。
 たしかにそばは絶品で美味かったよ。

 そういえば初日からバアサンがパーキングに寄るたびに近所のババアに配る土産を心配してたが、2日目は朝から土産はどこで買うと騒いでる。口を開けばまた土産と・・バアサンとうとうボケが来たかと思うほどに。
いよいよ会津でバアサンの手には持ちきれないほど土産を買い込み、やっとの思いでわが家にたどり着き兄弟たちから開放された。
 帰りしな、ノウテンキな長男が「いい旅行だった、また来年も行くべー」と。

ほとぼりが冷めたら懲りずに行くかも・・・
小さな胸の高鳴り
2006.4.12
 4月に入り弟子の慎太郎(福森)から結婚するので婚姻届の保証人になってくれと連絡があった。
 前々から付き合ってるのは知ってたので快諾し、カミサンと家で待ち受けていた。
 きっちりした性格の慎太郎だけに、約束の夕方5時ピッタリに彼女と連れ立って我が家へ。
しばらく根掘り葉掘りと興味本位に二人の馴れ初めなどを聞き出し、
その後おもむろに本題の婚姻届へ判子を押し、めでたいめでたしと相成り、4人そろって近くのスッポン屋でささやかに1杯。
 慎太郎には是非「日本の将来を考え、少子化問題の解決に一役買ってもらいたい」の親心からのスッポン屋である。
 果たしてその晩の成果はいかに・・・・?
 
 嬉しいことは続くもので、ふるさとダービー小松島の前検日に例によって誠の車で羽田まで便乗。
 千葉勢で朝飯食ってると、誠が「王監督だ」と叫んだ。
 振り向くと、なんとそこにWBC優勝の王監督がスタッフとレストランに入ってきていた。
 朝からオレの小さな? 胸が鳴り、こりゃサインをもらわずには居ても立ってもいられない。
 ところが、サインをもらうための物がない。もうガキのような状態になり焦るばかり。
 ハッと気が付き愛用のパソコンを取り出し王監督の下へまっしぐら。
直立不動で併進低頭にサインをねだる。最初は怪訝そうにオレを見ていた監督だが、手馴れた手つきでサインをしてくれ、オレは年甲斐もなく耳まで真っ赤になり、お礼の挨拶も早々に済ませ退散。
 正直言って、誠が去年ダービーを勝ったときも嬉しかったが、それ以上にホントチョー嬉しかった。
 このサインはオレにとってカミサンと娘に匹敵するぐらいのお宝だ。

 小松島競輪場に入って記者席でも、来た人来た人相手にサインを見せびらかし自慢話に花を咲かせる始末。
今回は王監督効果かトウチュウの予想も2日目はパーフェクトを達成。
 オレの懐具合もささやかながら膨らんだ。王監督バンザイ!
ところが3日目は朝から雨で準決勝が始まるころには強風も吹き出しレースは大荒れ、せっかくコツコツ貯めたお宝も、風とともに去りぬで、木っ端微塵。

 奇跡の逆転を最終日に託すことに。

 決勝戦は海老根が優勝すれば、オレもハッピーになれたのに・・・。小倉競輪祭のこともあり用心のため、裏もしっかり押さえてたのに・・・
立川ダービーあれこれ
2006.3.29
 立川ダービーは初日からの参戦。前検日まで平塚で仕事してたからね。遠い遠い立川までは電車で移動。千葉からは2時間かかるから、ちょっとした旅気分。

  やっとの思いで記者席に着いて、まずはレースを観戦。そしたら、1レースで森下太志と赤井がワンツーを決めちゃった。 いきなり目が覚めたね。「こりゃ今日は千葉デーになるな」と読んだら、3レースでも会田と和泉田が勝ち上がった。誠と武井にも心強い展開になったと、ほくそ笑んだ。

  問題の8レース。主導権を握ったのは大分の菅原だった。大介も果敢にまくっていったけど、力及ばず。でも誠がその勢いを貰って何とか2着に食い込んでくれたから、大介の初ダービーとしては、まず合格点だな。何しろディフェンディングチャンピオンの誠が一次予選で消えちゃうんじゃ、寂しいからね。

  これで期待のホープ・海老根もやってくれると思ったら、特選はまるで見せ場なし。二次予選もダメ、で終わっちゃった。なんという体たらく。せっかくの去年の勢いが完全になくなっちゃったし、こんなことじゃ北日本・福島には確実に水をあけられてしまう。海老根も性根を入れて頑張らなきゃ。
  海老根が頑張らないと南関が盛り上がらないし、なによりオレの財布も盛り上がらないんだよ。

  色々あったけど、準決勝は見所が結構ある3レースだったね。まず9レースの手島には驚かされた。あの伏見と金子を凄い勢いでまくっちゃってビックリ。それにも増して驚かされたのは、手島を4着に沈める脚を見せた稲村だ。ダービーの準決勝で余裕がなかったから残せなかったんだろうけど、それにしても立川とは相性が抜群。良く走るね。
  10レースは調子の良くない後閑と武田が頑張った。後閑も体調さえ良ければ仕事をして残せたんだろうけど、残念だね。
  圧巻だったのは最終レース。吉岡のスピードはまるで全盛期みたいだった。まさにF1だ。
 
  決勝は最近にない、先行型不在の組み合わせになっちゃったけど、これも立川の特徴がモロに出てしまったんだろう。これだけ直線が長くちゃ、先行型は苦しいよ。

  結局、自力型が潰れていく中、吉岡だけが最後まで生き残った。
  後位が競りとはいえ、立川の長い直線を堂々の逃げ切り優勝。本当にかっこよかった。心よりおめでとうと言いたい。
兄ちゃんの顔を見に…
2006.3.15
 久しぶりに兄ちゃん(山口国男)の顔が見たくなり、 熊本記念の場外発売を行っている松戸競輪場へ行くことにした。

 (この日は最終日) いつもの道順に沿って出かけたが、通勤時間帯でもないのにやたらと混んでいる。 気が付けば道路工事にぶち当たってしまった。「やべ〜、こりゃお目当ての6レースに間に合わないかも・・・」

 イライラしながら一人ぶつぶつと車の中で「こんなの税金の無駄使いじゃあねえの、小泉首相様、なんとかしてちょ!」などと呟いてしまう。
 毎度のことだが、この時期になると、必ずと言っていいほど行われている光景だ。
「今すぐやらなくても、いいんじゃないの?」と思うような工事もやってたりする。
「ホント、日本はどうなってんの?こんなことばっかりやってて大丈夫かい?」と首を傾けたくなる。 などなど渋滞のおかげで、考えなくてもいいような事を考えてしまう。

 普段なら1時間足らずで行ける所を2時間もかけ、ようやく松戸競輪場に辿り着く。 さっそく、兄ちゃんのいる「下町の大将のガイダンスコーナー」を覗いてみる。
  相変わらず元気な声を張り上げ、名調子で子分(ファン)たちに、レース展開を教えてる。 いつもの事だが、オレが行くと必ず選手時代の裏話などを交え、子分に面白おかしく話を聞かせ笑わせてくれる。 時折オレも脇からチャチャを入れながら、話に混じる。
そんなこんなでお目当ての6レースが発売。
 このレースは「藤田竜也に大名マークの和泉田がきっちり差して堅い」と決めていた。 ところが兄ちゃん、「もしかしたら競られることも・・・」と不吉なことを言う。
 んっ!、ビビッたオレは藤田の頭からも押さえ、これが大正解。兄ちゃん有難うと心の中で感謝。

 幸先よくツキもあると思い込み、今回はいけると戦闘モードに突入。 一進一退を続けながら迎えた最終レース。 佐々木が逃げると読んで、オグリュウの200勝の乗ることに。3番手の富にも魅力十分あり、両者の頭を絡め勝負。 (兄ちゃんは山崎は来るといっていたが・・・・) 結果は中団を取った山崎がまくって優勝。オレの高配当狙いはあえなく失敗! そういえば、和泉田のレースで助けられたのに、言うことを聞いてればよかったと反省。

 東王座に引き続き優勝した山崎はレース運びも上手く、一桁違う強さを発揮していた。 もうすぐ始まる日本選手権の舞台は直線の長い立川競輪場だ。 山崎にはうってつけの舞台設定で、大いに期待できる。

  GTタイトル奪取を狙う海老根とって、今後最大の強敵になるに違いない。
西王座、東王座、禁酒…
2006.3.1
 あれから順調に禁酒は続け、我ながらたいしたもんだと納得。やっぱり選手時代の強い意志は健在だった。体重の方もバッチリと減り始め、この分では次回の検査で合格点をもらえるだろうと、自分なりにちょっと自信を持っていた。

 西王座戦でも一緒に行くのは酒を呑めない東中の吉田先輩だし、当然、引き続き禁酒ができる環境だ。
 ところが奈良競輪場に到着し前検日の取材をしていると、プロスポーツのA女史と遭遇。
 「まだ禁酒してるの?」
 と聞かれた俺は、「もちろんだよ」と答えた。「それじゃあお食事ぐらいしかご一緒できないですね」と来たもんだ。吉田先輩もあまりお酒をたしなむ方ではないので、「やっぱり禁酒の誓いは守れそうだな」と胸をなでおろした。そのまま食事の約束をして、その場は分かれた。
  取材を終え、A女史と吉田先輩、後から他紙の後輩とコラム仲間のゆみさんも合流しての晩飯となった。なかなか良さげな店が見つからなかったけど、豚の看板が目についた中華料理屋さんに繰り込んだ。店の名前は「トンチンカン」、漢字で豚珍館。

 最初に頼んだ餃子が運ばれてくると、皮はパリパリ、中はジューシーで実に美味しい!

  この時、悪魔のささやきが。

  A女史が、憎らしいほどの笑顔で「やっぱりビールは美味しいわ!」と叫びやがった。  グラグラっと来たね。「また明日から禁酒すればいいじゃない。今日だけ、今日だけ」と言われて、つい「まあ一杯だけなら、いっかぁ」と言ってしまったものだから、周りもオレを煽って、生ビールを注文する羽目に。  「やっぱりウメー!!」  当然、一杯で終わるはずはなく、きっちり日本酒までいただいて帰りましたよ。
 カミさんには申し訳ないけど、仕事のお付き合いは断れない。オレは頑張ったんだけどね。東王座が終わったらまた挑戦だ。

  初日は加藤慎平がいいレースで2着に入った。優秀、準決勝が確定して、本人も意気揚々と共同記者会見に臨んだ。  しばらくすると、なんと加藤が欠場。しかも理由は腰痛らしい。俺の頭の中は「??」といった感じ。  どうやら事故点の関係もあるあしいらしいけど、選手も自分の生活を守るためには仕方ないよね。
 施行者の奈良も売れる選手がいなくなってしまうのは痛いし、俺にとっても車券の軸になる選手がいなくなってしまったのは実に痛い!

  西王座は沢田が市田のまくりに乗って優勝。続く東王座では福島勢があっと言わせる作戦で山崎が優勝。オレの期待した海老根は最後方におかれ着外に消えた。

  海老根にとってG1を制するためには一人では勝てないということを充分に学習したのではないか。この教訓を生かして、タテの競走だけではなく、メンバーによってはヨコも視野に入れた戦いをしていかないと苦しいんじゃないかな〜。
  優勝した山崎はトップクラスの選手にはめずらしくカタカナ『ケイリン』のスマートさはないが、昔の『競輪』選手の雰囲気を持つ数少ない選手だ。これからももっと貪欲にがむしゃらに攻めるレースでファンを魅了してほしい。
東出剛メモリアルカップ
2006.2.15
 2月の東西王座戦が近づくたびに、胃癌で亡くなった悲劇のヒーロー東出剛君を思い出す。
 もうあれから2年が過ぎた。今では東出の功績を讃え千葉競輪場で、メモリアルカップが行われている。

 東出のことを思い出しつつ、オレも最近身体に不安を感じるようになり、人間ドックに予約をし入ることにした。
 これには当然カミサンも大賛成で、快くその日の内に検査料を前渡しでくれ、「ウッシッシ・・・」と思わずほくそえんだオレ。
これを握り締め、東出メモリアルカップ最終日の千葉へ一目散!
初日、2日目をしっかりと見ていたオレには、確信にも似た自信のレースが前半戦にあり、「どこまでいってもこれしかない、勝負だ」と検査料の大半を本命対抗にぶち込んだ。

結果は23万6660円の大穴配当となり後がない。
ぶち切れヤケクソモードに突入、こうなりゃ大穴狙いに予定変更、勝手に頭の中で大穴展開を作って勝負し自滅。
その後、帰ってからどうなったかは、恐ろしくて書けね〜…

 ともあれ、なんとかかんとか人間ドックには行き、検査を無事終了。
その後の診断結果では、酒の飲みすぎで肝臓肥大だそうで、このままいくとヤバイことになると忠告を受けた。
 今は医者の言うことを素直に聞いて禁酒を守っている。
 カミサンじゃないが、いつまで続くのか自信がない。

 最近の仕事帰りの電車での出来事だが、オレの前にサラリーマン風のオヤジが缶ビールと柿ピーを片手に持って乗ってきた。そのオヤジがよりによってオレの目の前に陣取って、グビグビやるからたまったもんじゃない。 「オイオイたのむよ、そんなに美味そうに飲むのはやめてくれ!」と思いながら仕方なしに目を閉じた。そしたらなんと頭の中でどんどんビールの美味そうなイメージが沸いてきて、口の中は生唾ゴックン。
 まるで(パブロフの犬)状態。
 「オレはアルコール依存症か?」と言う思いにかられ、なさけね〜。

 しばらくは禁酒で頑張ってみるつもりなので(次回の検査が終わるまで)。オレにとってこれは苦難の連続になりそうなので千代さん、緒方さんオレを誘惑しないでね(ゆみさんも)。

 ところで、ゆみさんはカスタムバイクで峠族をやっていたそうですが、オレも高校生のころ、ナナハンに跨って風を切り吹っ飛ばしてたよ。
 夏休みにはバイトで貯めた全財産をもって、北海道まで2週日間の予定でツーリングに出かけ、2回程スピード違反で捕まった、ほろ苦い思い出があります。

 フラワーラインへサイクリングに行くと言ってたので、攻略法をひとつ伝授します。
 フラワーラインは春先、花を見物にくる観光客でにぎわいます。
 あまりキョロキョロしないで安全走行です。

これが黒潮ヒデの秘伝です。あしからず!
嬉しい競輪祭、悔しい競輪祭
2006.2.1
 競輪際はオグリュウ(小倉竜二)が吉岡のまくりに乗って直線鋭く伸びて優勝。
海老根が上手くマイペース先行で、後ろも佐々木辰也、佐藤慎太郎、加藤慎平で大競り状態。バックから3コーナーにかけ吉岡がまくってきたが、それほど伸びず「ガンバレッ!」と思わず俺も声を出し、最終4コーナーからは立ち上がって身を乗り出し大声援。
「海老根、でかした優勝だ!!」と大興奮。ところがゴール前オグリュウが凄い伸び脚で突っ込んできた。
ひいき目の俺には海老根だと思ってたが、ゴールスローを見て「ンッ、 あれ〜?カクッ」と。
駄目押しに決定を聞いて「ハア〜ア」とガックシ。
海老根にとっては最高の展開での惜敗だった。
多分、海老根は時間が経つにつれ悔しさが増し、きっと練習の鬼と化し3月立川ダービーでこの無念を晴らすだろう。(俺の分も)

 今回初参加となった大介(武井)も1次予選を落滑入しながらも2次予選へ。
2次予選は更に強豪ぞろいで苦戦必至だと、半ば諦め加減の俺の気持ちに相反して一まくりを打った。
同乗した(鈴木)誠が付いていってさえくれればワンツーが決まって手放しで俺も喜べたんだが・・・。
冬場は体格に恵まれない大介にとっては苦しいレースの連続なのだが、小倉はドーム競輪場だけに、頑張れるんじゃないかと期待はしていた。
 大介は良く頑張ってくれたね、二重丸◎◎。

それにしてもグランプリレーサーたちの動きが悪かった。
グランプリ後、一か月足らずで競輪際では万全な調整は難しい。
もっと余裕のある開催日程にしないと、グランプリレーサーから安心して狙うことができない。
そうなればファンはそっぽをむいてしまい、競輪離れの原因になってしまう公算が大きい。
ファンあっての競輪、ファンも選手も納得いくレースができて初めて競輪の醍醐味が味わえるのではないのかな。

そうそう、我が家の大事件を書くのを忘れてた。

正月3日に尾崎雅彦の引退式に出た後、飲み会が終わり携帯を見たら、家から着信履歴の嵐があるのに気が付いた。
また、例によって「カミサンの何時に帰る?」コールかなと、面倒臭く思いながらも電話をした。
そしたら何と、「我が家に賊が侵入した」とカミサンがありったけのテンションで話してきたから、いままでのほろ酔い気分が一気に吹っ飛び、慌てて帰宅することになった。
帰ってみたら、まだお巡りさんが実況検分をしている最中で、テレビのドラマでおなじみの光景が我が家で展開。
始めは何がどうしたのか、さっぱり判らずにボケッとしていたが、俺も指紋を採られ色々と質問され、なおかつカミサンが、いかにも自分が泥棒にでもなったように、身振り手振りで説明してくれたおかげで、さしもの俺も、事の重大さに改めて気付く有様だった。
それにしても、日ごろから良くしゃべるカミサンだが、この日は輪をかけて捲し立て蟹バケツ(喧しい)以上に凄い。
例えれば、鶏小屋に野良犬が進入し、怯えた鶏がバタバタとあっちこっちに飛び跳ね逃げ惑う勢いだ。
家の中の様子は箪笥の引き出しから戸棚、押入れをしっちゃかめっちゃかに開けられ散らかり放題。
チクショウ悔しい!
しかし、たまたま家は留守だったからよかったが、誰か居てバッタリ鉢合わせになってたらと思うと、ゾッとする。
今でも必ずこの話が一日一回は話題に上る。
あの日からカミサンは出かけるのに用心深くなり、カギの閉め忘れがないかと戸締まりを神経質に行っている。
一種トラウマに近いものがあり、ちょっとかわいそうな気がする。
今年はこれで厄落としになったと思い、くよくよせずに気合で頑張ります。

皆さんも、ゆみさんも、戸締りにはくれぐれも十分に気を付けてくださいね。
尾崎雅彦、引退
2006.1.18
 僚友尾崎の引退式の日の話  京王閣競輪場で去る1月3日にフラワーラインの一翼を担って戦ってきた、尾崎雅彦の引退セレモニーに出かけていった。
 フラワーラインの総帥山口国男兄ちゃん、今は沖縄に移籍し頑張ってる清嶋彰一も、尾崎の引退を聞きつけ駆けつけてくれていた。
 寒風吹きすさぶ中、「おもしろ競輪塾」の舞台で国男兄ちゃんが「尾崎お疲れ様」と声を詰まらせ涙目で絶叫。
 思わず俺もぐっと来るものを抑えつつ、尾崎の長年の労をねぎらい挨拶をした。
 周りのファンの方たちからも暖かい声援や、尾崎の引退を惜しむ掛け声やらで1回目の幕を閉じた。
 2回目はバンクに場所を移し、尾崎のラストランから始まり、A級決勝レースを走り終えた健坊(山口健治選手)が、 尾崎に最後の挨拶をするが、まったく声にならず嗚咽に咽ぶばかり。
 その場にいた皆が、堪えきれずにもらい泣きをすることになってしまった。
 そのときオレは、「ハッ」と健坊の心中を始めて知った気がした。
 「健坊の最大のライバルは尾崎雅彦だったんだ」と。
 けっして中野浩一さんや井上茂徳さん、まして俺なんかでは、なかったんだと。
 アマチュアのころから一緒に練習をして育った仲だし、一番身近な存在であった尾崎が引退したんだから、そりゃそうだよな。
 と、なんとなく複雑な気持ちながら納得。
 さて、夜には尾崎の家族や弟子、東京の選手たちで囲む会を開かれ、国男兄ちゃんや俺たちが用意された会場に先に到着。
 主役がまだ来ないのに、兄ちゃんが早速自慢のカラオケをご披露し、昼間のアレはなんだったんだ?というぐらいの勢い。
 ややしばらくして主役の登場となり、宴会が始まり自然と盛り上がり、アッという間に時間が過ぎて、最後に尾崎がお礼の挨拶。
 その中で「20代、30代、40代とそれぞれの年代で、勝てない悔しさから、もう辞めようと何度も思った」、「その悔しさがあったからこそ、やってこれた」とう内容の挨拶だった。
 「いやあ、偉いもんだな」と感心。選手を長くやってると負けることに慣れてしまい、悔しさを忘れることが多いのに。
 改めて尾崎雅彦という人間が、どれだけの努力を惜しまずやってきたのかを実感させられた。

 尾崎雅彦さん、本当にお疲れ様でした。
 (帰りがけ携帯電話に家からの着信履歴の連打あり)

 そのころ我が家では大事件勃発。その話は次回へ
明けまして、グランプリ
2006.1.4
 新年明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。
 今回はグランプリの話

 グランプリ05は神山の野望を打ち砕き、加藤慎平の優勝で幕を閉じた。 全日本選抜を取った勢いをそのままに、若さで一気に勝利を神山の手から、もぎ取ってしまった。
 レース内容も、冷静沈着に要所要所で内を巧みに突き、上手かったよ。
一番落ち着き払ってレースを見られていたし、たいしたもんだ。
 「世代交代の波になる」と言ってた慎平君が、とんでもないビッグウエーブを作りだした。
 いよいよ06年は、本格的に若手の反撃が始まる予感がする。
 普段のオレは弟子の乗ってるレースだけは車券を買わずに応援に回るが常だが、グランプリは別物。
 ただ黙って見るだけの我慢強さは持ち合わせていない。誠だってこれが最後かもしれず、誠のご祝儀車券は少々購入し、後は神山で行けると信じ、勝負に出て、あえなく撃沈。
レース後、神山は人目も憚らず悔し涙を見せたというが、 オレもカミサンに「大丈夫、今回は自信あるから」と胸を張り家を後にしてきた手前、夕暮れの寒空の下で、なにやら寒さとは違う身震いを覚えた。
そういえば、前回のコラムでフグのアルモノとオレが言ってましたよね。
グランプリ後に防府のちくりんの主から焼酎が送られてきたので、お礼の電話を入れたときのこと。
アルモノの正体を聞かされ、大笑い。フグの肝だとずっと思っていたが、なんとカワハギの肝だったと。
これじゃあグランプリに当たる訳がないやね〜。

追伸

一年一年があっと言う間に過ぎて、とうとう50歳です。
いつまでも元気で競輪を楽しむために、努力を惜しまず頑張って行きます。
今年も皆さんと楽しい競輪話していきたいので、気軽に声を掛けてくださいね。
ないしょの話などあったら、ドンドン教えて下さい。お願いします。
吉井秀仁
よしいひでひと
昭和31年千葉県生まれ。
昭和51年10月、38期生として選手登録。同51年11月千葉競輪場にてデビュー戦を完全優勝で飾る。二年後の53年に新人王、翌年の競輪祭では競輪王の称号を獲得し一気にスターダムをのし上がった。55年前橋ダービー、59年西宮オールスターを優勝。通算出走数2073走、1着464回、記念競輪優勝数30回(歴代15位)。華々しい成績を残して平成14年7月現役を引退。現在は東京中日スポーツ専属解説者、テレビ、イベント等で活躍中。
吉井秀仁
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