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劇的に攻略、そして撃破、深谷知広がスターロードを継承! 東日本大震災被災地支援『第62回高松宮記念杯競輪』(G1)は前橋競輪場で今日6月5日11レースで決勝戦が争われ、深谷知広がG1初優勝を飾った。吉岡稔真氏が92年3月のダービーで、G1初制覇に輝いた場所がこのグリーンドーム。歴史が築かれた地で、深谷は中団五番手から豪快なまくりで、村上義弘や伏見俊昭らG1タイトルホルダー7名を捻じ伏せ、『新生』宮杯で新たな歴史を築き始めた。
静から動へ、先制成らずなら弾丸まくりへと、ものの見事に次々と変化して、深谷知広がG1タイトルホルダーの仲間入りを果たした。Vゴールした直後の心境を、「勝ったが、ワケ分からなかった」と夢見心地でも、レース運びはなかなかどうして冷静そのもの。初手の位置は六番手。稲垣裕之に序盤はフタされ選択は裏目と思われたが、全く動じなかった。稲垣の先制で、武田から五番手を奪った後は、逃げた稲垣マークから最終バックで番手発進の村上や、仕上がり『超抜』の佐藤らを豪快に飲み込んだ。「出し惜しみしない様に。緊張しちゃうから、展開を考えない様に」と、ほぼシミュレーション無しで臨んだとは思えぬ、軽快な立ち回りでの戴冠劇だった。
金子貴志は愛弟子・深谷が実は努力家と説明した。「苦手なバンクで勝っちゃうあたり、深谷らしい。凄いメンバー相手でね。普段から凄く研究している。自分で考えている。しっかりと修正した。今回勝つのはある意味で必然。今回はアドバイス? 小回りバンクで重心のかけ方ぐらい。コーナー部が続くから。オレが番手? スンナリと回れる位置じゃない。頑張らないと」。僅かに目を潤ませ、愛弟子の大活躍に自身の発奮を誓った。
師匠・金子や、山田裕仁のアドバイスを素早く吸収した。僅か1日で修正し、存在感を回復した。初日選抜は主導権を奪えずに不発。「小倉と違ってここは難しい。体も何か変」と泣き言とも解釈できるコメントを残したが、二次予選Bでは差されはしたが型通り逃げて、準決勝では山口幸二ら後続をブッ千切る逃走で優参した。ファイナルでは普段は見せぬ中団取りからの弾丸まくり。内容重視から結果をも求め、今後はよりも『二兎』を追うレース運びが求められる。「悪い競走が出来ないし、今後も期待に応えたい。グランプリ? グランプリ選手は憧れだったし、その舞台に行けて嬉しい。オリンピック? 競輪一本です。これからも注目されると思うし頑張っていきたい」。
村上義弘は準Vだった。稲垣マークから、最終バックで番手発進。瞬く間に右横を深谷に通り過ぎられ、「(深谷は)次元が違うスピード。姿が見えていたし、対応出来たと思ったのに。悔しい」。言葉とは裏腹に、饒舌だった。「これからは深谷が中心になる。強い勝ち方だった。ホントに強いし、自分達も、深谷を目標に頑張る。明日から練習です」。ライバルのパワーアップが、より村上を強くする。
伏見俊昭は3着。まくり不発だった佐藤友和のインへ、俊敏に差し込み深谷らに迫った。「惰性が付いていたし、内しか見ていなかった。宮杯は初めての表彰台。(優勝に)近づいただけでも、良しとしないと」。
佐藤友和は、伏見と二車単一番人気の支持に応えられなかった。初日特選から2勝、オール連対での優参。準決勝10Rでは当所の上がりレコードに迫る9秒2を叩き出すなど、絶好の仕上がりだったが、「チクショー、組み立ては間違ってなかった。村上さんは番手発進で、深谷を合わせると思った。(最終)ホームで(深谷を)どかせば良かったかな。最後? 脚はたまってなかった。脚を使って位置取りをしたから」。普段と異なり、レース運びを悔いた。
武田豊樹は僅かな読み違いが敗因だ。赤板過ぎに深谷へ五番手を明け渡したプレーに、「甘いっ、(深谷は)叩きに行くと思った。序盤? うん、流れは良かった。深谷が叩けば、オレの出番だった。悔しい、力を出し切れなかったし」。「まだまだですね」と評価していた昨年の秋本番当時と異なり、深谷の成長を認めざるを得ないが、早くもリベンジを期している。「深谷はタイトルを取ったし、今後も動じないよね。強いし、前から強いと思っていた。親王牌? 室内と外じゃ違うからね。厳しい戦いになるけど、今度は…」。
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