>>決勝戦の赤競.NETを表示する
「ダービー王? 信じられない。まだ、頭の中が真っ白です」。優勝者共同会見へ向かう最中に呟いた言葉だが、なかなかどうして、レース運びは冷静沈着そのものだった。市田佳寿浩が長塚智広に押圧されて落車する非常事態に、村上は自力勝負へ作戦変更。打鐘過ぎ3角で3番手キープから、逃げた鈴木謙太郎に2角まくりを浴びせると、追走した山口幸二や、「流れとかコースとか全部見えていた」の兵藤一也の猛襲をも振り切った。
百戦錬磨の山口をして「落車があって普通なら動揺とかするのに、村上は落ち着いていた。冷静に、勝負権ある位置を確保した後は、凄いスピードだった」と評する程、G1最高峰ダービーの決勝でも、絆を強めるパートナーが眼前から姿を消す事態でも、村上の頭脳は明晰だった。大ギアミックスの快ダッシュで1次予選から3連勝、無傷の優参で『超抜』だった長塚でさえ、「敵いません、格と脚が違いすぎます」と潔く完敗を認めるしかない程、村上の『驚速』ぶりはダービー王のそれだった。
村上は市田とは、G1初制覇の岸和田全日本選抜では別線で力勝負を演じ、昨年の立川グランプリでは自身の3番手を固めるなど、時にライバル、時には盟友の関係を築いた間柄。その市田に決勝は前を託した。「市田がいつもするはずのプロテクターをしてなかった。凄く、気持ちが伝わってきた。長塚君の降り方が急激で、市田は落車するかも。冷静に見られた。幸二さんにも付いてもらったし、市田の気持ちを無駄にしたくない。先行するつもりで、前に前に踏んだ」。
「一緒にゴールしたかったが、村上さんが勝って良かった」と振り返る市田のロングスパートに乗ることは出来なかったが、熱い思いを押さえ、赤板後は冷静に冷静に運んだ。一時は山内卓也のインに包まれていたが、「市田さんの落車を見て、自分は村上さんと長塚さんに中団取り合いさせてペースで逃げようと」とした鈴木謙太郎の思惑を見抜くと、3番手へ下げた後の2角まくりで長塚や松岡貴久の巻き返しを軽く退けた。
ビッグ制覇は昨年4月の小松島春一番以来だが、G1戦に限れば平成15年の一宮オールスターまで遡る。昨年はダービー、親王牌に全日本選抜と準優勝が続いた。一時は落車禍に苛まれ、優勝戦線から遠ざかった。ギアアップを良しとしない信条もあったが、スランプ脱出へ一昨年7月の小松島記念では4回転ギアに履き替えたこともあった。逃げ一本で勝っていた頃とは、プレースタイルは大きく変わった。それでも、ファンは『日本一』の復活を待った、信じた、期待した。「昨年はファン投票で第1位。その前も上位で選んでくれて、モチベーションを保てた。支えてくれた方、ほんとに多くの方に恩返しが出来て良かった。今後? 一戦、一戦に集中するだけ」。ダービーの約2週間前に宣言した「G3もG1も関係ない」の信条に変わりはない。
|