吉岡が立川の長い直線を乗り切って逃げ切った瞬間、バンクには大きな歓声がこだました。“先行一車”の組み合わせではあったが、相手は百戦錬磨の実力者ばかり。大きなプレッシャーから解放されて、表彰台に上った吉岡の目には光るものがあった。
「“やった”と言うしかないですね。(特別Vから遠ざかっている間に)チャンスは何回かあったけど、今回のチャンスを逃したらもう獲れないくらいの気持ちで臨みました。稲村君の追い上げとかで自分の方に流れが向いてくれた。今日は先行一車だったけど、先行一車というのは競輪の中で簡単なようで難しいもの。その中でモノにしないとというプレッシャーもあったし、逆にもう一人先行型がいた方が(良かった)とも正直、昨日は思ってました。レースの組み立てとしては、最終的に僕以外に動くとしたら藤原君だから、先に藤原君に動いてもらって最終ホームぐらいから仕掛けられたらと思ってたけど、それが逆の形になって戸惑いがありました。でも、稲村君にホームで叩かれなかったので、それが勝因ですね」 吉岡のG I優勝は実に平成11年8月の大垣全日本以来のこと。しかし、長いトンネルを抜けた先には、史上初のダービーV4という栄冠が待っていた。競輪界に長らく君臨してきた伝説の男にまた新たな勲章が加わった。
「記録は嬉しい。競輪の(歴史の)中に自分の名前が残るというのはね。怪我で下がったりモロモロあって、長い月日があったから、今回の優勝は(これまで獲った)10個以上の重みがあると自分の中では受け取っています。先ほどバンクの中でも言いましたけど、(ファンの方には)悪い時も暖かい声援を送っていただき、今日も遅くまで残ってくださって感謝の気持ちで一杯です。今後の目標についてはまだあまり考えられないですけど、今は九州が少し低迷しているので、これを期に、一人でも多く九州の選手が特別の決勝に乗ってこれるようにアシスト出来ればと思っています」
吉岡を捕まえることは出来なかったものの、落車のアクシデントも避け、2着まで伸びた有坂からも笑顔がこぼれる。
「危なかった。3アンコだもんね。(落車に)巻き込まれなくて良かった。慎平が(番手に)追い上げなかったら、追い上げようかと思ってたけど、慎平じゃなくて、稲村が来たね。まあ、それにしても危なかった。最後は慎平が内行ったから外を踏んだけど、落車を避けた時に思った以上に脚にきてた。これでグランプリも60%くらい決まったかなと思うけど、競輪祭が3着、今回は2着と来たので、次は獲りますよ」
一方、3着には加藤が入ったが、後ろの山口が落車に巻き込まれたこともあって、作戦面についてはほとんどコメントなし。残念そうに最後の場面のみ振り返った。
「落車を避けるので脚にきちゃいました。吉岡さんも最後までタレなかったし、外は行けず、中を割るしかなかった」
また、小倉に競りを挑んだ後閑も最終的に吉岡の番手は取り切ったが、直線で余力は残っていなかったようだ。
「力で抜きに行こうと思ったんですが、今回は調子が調子だけにね…」
道中はその後閑の後位に付けていた藤原は作戦について、こう説明する。
「勝つためには3番手以内が必要だと思っていました。落車がなければ最高の形だったんですけどね…」
さて、吉岡の番手を巡る争いは3車が併走するなど熾烈を極めた。結果、小倉、稲村、阿部、山口の4人が落車。
小倉は 「狙われる位置なのは分かってるからね。競りは外の方が有利だと思ったんで、外競りに行きました。ホームで稲村さんが来たけど、それもある程度頭の中には入ってたんですけどね。引っ掛かってしまった感じで。まだ吉岡さんも駆けてなかったし、勝負する前に終わってしまったね」
稲村は、落車で痛む肋骨を押さえつつ、「もっとガーンと(叩き込みに)行くと内が大量落車になるから、あんな形で追い上げましたけど、追い上げは狙い通りでした。優勝はキツいけど、うまく出来れば2着はあると思って」。
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