64期生ナンバー2、デビュー翌年には特別競輪に出場していた有坂。タイトルを手にする日も遠くないと言われながら、これまでの最高成績は92年ふるさとダービー函館の決勝3着。ビッグ優勝を手にするまでの道のりを、「獲れない時は獲れないから」と一言でこともなげに振り返ったが、万感迫る思いの表情は隠せなかった。
「ケガもあったし…。今回は二日間、前が頑張ってくれた。それだけです。僕は夜行性だから、これぐらいの時間に走るのがちょうどいい。特別もこの時間にしてくれないかな(笑)」
引き揚げた検車場で記者団に囲まれると、饒舌に勝因を語る。
「三番手で気楽に走れたのが大きい。岡部が頑張ってくれたし、コースも空いてくれた。第一回を勝てて嬉しいね。これで家族孝行できますよ」
2着の岡部は「ラインから優勝者が出たから納得」と語る。「後ろを引き付け過ぎたかな。最後は俺と有坂さん両方にチャンスが回るようインを空け気味に張った。他の人に内を突かれたら多分怒っていただろうけど、有坂さんには迷惑を掛けたこともあるし、この結果は素直に喜びたい」。
後方から迫った吉岡はブロックに阻まれ失速。
「金子が引かなかったのが誤算。併走で脚を使ってしまった。でもハコが岡部じゃなかったら行けてたな。脚があるヤツが番手を回ってるんじゃ厳しいよね…」
一度突っ張る素振りも見せた金子は、「北が行っちゃう雰囲気もあったし、前を取って出方を見たかった。前々には踏めたけど、最後の位置取りが甘かった」。
愛知と別線の岐阜コンビ。前を任された志智は「最終HSまでは完璧だったけど…」と肩を落とす。
山田は「志智がいいレースをしてくれ、任せて正解。志智は内に入っていける選手だから、4コーナーで彼のコースを見てから踏まないといけない。その分、ちょっと足りなかったけど、4着まで突っ込めたのは自分なりに手応えがあった」。 |